五大皆響き有り
十界に言語を具す
六塵悉く文字なり
法身は是れ実相なり
現代語訳「五種の存在要素(五大)には、みな響きがある。十種の世界(十界)は、言葉をもっている。六種の認識対象(六塵)は、ことごとく文字である。さとりの当体(法身)とは、実相のことである。」
空海(774-835)は真言宗の開祖で、多くの著作を残した。上の言葉は「声字実相義(しょうじじっそうぎ)」の中の言葉である。
空海によれば、世界の根源あるいは根底には「大日如来」がある。大日如来とは、大いなる光、無色透明の純粋な光である。
この大いなる光が、渦を巻き、螺旋を描きながら(マンダラに描かれているように)、多種多様に生成変化したのが、世界である。
大日如来は言葉(真言)を通じてたえず説法している。それを「法身説法(ほっしんせっぽう)」という(あまり擬人化して考えないように)。
では、大日如来の説法とはどのようなものだろうか。
「五大皆響き有り」。この言葉が出てくる瞬間、体験があるとすれば、それはどのような体験だろう。五大とは、地水火風空のことで、簡単に言えば、森羅万象のことである。森羅万象にみな響きあり、と言える体験とはどのようなものだろうか。
かつて奈良のあまり高くない山に登ったことがある。山頂に立ったとき、青空の下、はるか向こうまで山並みが広がっていた。そのとき、しーんとした底知れぬ静けさを感じた。空があり、山がある。そして自分がいる。ある、という存在感をつよく感じた。「五大皆響き有り」とは、森羅万象があるということへの感動の言葉のように思える。そういう意味で壮大な言葉のように思える。
大日如来の説法とは、「ある」ことの奥深さを説いているような気がする。
(引用、参考文献)
空海コレクション2/宮坂宥勝 監修/ちくま学芸文庫
密教/松長有慶/岩波新書